中居正広を本当に引退させてよかったのか?

中居正広を巡る一連の報道と、それによって導かれた結果は果たして正当なものだったのか。報じる側、批判する側に求められる責任とは何か。ジャニーズ、松本人志から連なる、力を持ちすぎたジャーナリズムやネット世論のあり方をあらためて問い直す時期に来ているのではないか。それらと向き合う私たち自身の姿勢とともに――。
沖田臥竜 2025.02.27
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   中居正広氏の問題を振り返るにあたり、何のための示談であったのか。私はそこに釈然としない疑問を感じている。そして今なお、この問題を記事化するメディアに対しても、これが本当にジャーナリズムと言えるのかという疑問が募るばかりだ。

 事の是非を論じたいのではない。本来その裁きは司法が判断すべき領域であり、間違ってもネット民の声と関係があってはならない。それがどうだ。罵詈雑言を声高に叫ぶネット民がまるで世論の代表であるかのように、次第にその声が大きくなり過ぎてしまっていないか。

 思い出してみるとよい。ジャニー喜多川氏が他界した際、多くの人々が故人の死を哀しんだ。

 それがどうだ。文春の記者会見を経て、突如として、その声は一変したのである。あれだけ哀しみの声を上げていた人々が、故人を大罪人として断じて見せたのだ。すまんが、これではオチオチ死ぬこともできないではないかと感じてしまった。そうではないか。あれほどまでに、何の戸惑いも見せずに平気で手のひらを返せる人間の人間性を信用することができるか。私には間違ってもできない。ましてや故人である。弁解もできない状態で故人を罵倒するのは欠席裁判以外の何者でもない。

 そしてジャニーズを崩壊させたのだ。その風潮を作っているのは言うまでもなく一部のマスメディアだ。だがそれに乗せられて騒ぎ立てているのが無責任なネット民であることも疑う余地はない事実ではないか。

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  • 示談のはずが…“世論裁判”の危うさ 

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