頑張れる人間になるために

尼崎で生きてきた沖田臥竜が、間違いなく言えること。それは、尼崎という土地と現在、沖田が活躍する場所をつなぐ道を開拓したこと。あの国民的タレントにもできなかったことだ。
簡単なことではない。なぜ、なんなことができたのか?
沖田臥竜 2024.05.12
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 振り返ったときに心の底から頑張ったと言えることは一つだけしかない。それは道を切り拓いて、ここまでやってきたということだ。

 今でこそネット文化の急激な発展により、世に出ることやその手法の幅が広がったが、私が筆を握った25歳のときは、容易なことではなかった。だって当時は社会にすら出ていなかったのだぞ…。

 尼崎というローカルな街になんかに住んでいて、知り合いの知り合いが作家とか、編集者なんてことはまずない。世に出る方法を相談したりする人間もいないのだ。もうそれだけで、心がベシリとへし折れそうだったが、私はもっともっと先をずっと見ていた。

 本当に誰と知り合えば自分の書いた文字を世に出せるのかと気にしながら、ずっと先を見ていた。

 多分だけど、それが今立っている場所なのかもしれない…想像よりもゼロが一つ少ないぞ、おい!……

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