ヤクザ組織と相似するジャニーズという組織の崩壊
相手が弱っているときは寄ってたかって大暴れして、逆になると知らぬフリを決めこむ活動家もどきをどうにかできないのだろうか。
活動家だけではない。それこそが本来の頼り甲斐のある姿ではないのか。
みんなが文句を言っている時に、 有利な側で人一倍騒ぎ立てることに正義などと断言できるはずはない。
仮に問題の本質が的を得ていたとしても、その姿勢こそが悪なのだ。
ジャニーズの記者会見を観ていて、個人的に知っているだけに、望月衣塑子という人間には、凄まじいほどの嫌悪感が溢れ出た。申し訳ないが私は言わせてもらう。望月が大バッシングされたとき、私はそのやり方には目に余ると思っていた。
実際、望月の評判は知っていた。どのような姿が名物と言われているかも知っていた。ただ、それよりも私が大事なのは私の人間関係であり、ことの是非ではない。何よりも気にいらなかったのが、大勢で寄ってたかって誹謗中傷している構図に苛立ちを覚えた。
あのときに、今、ジャニーズ問題で一緒に騒ぎ立ている人間たちは、誰も立ちあがろうとしなかったぞ。
所詮はそんなもんである。有利なときにしか騒げないのだ。
私はそんな人間を最低と思っているし、損をしても弱者側で立ち向かってやりたいと思っている。
自分の人生は、自分ひとりで戦っていく。これまでもそうしてきた。
仕事や人間関係なんて結局はそうなのだ。相手が困っていれば、助けを求められなくても、自分の生活や営みを投げ捨てでも駆けつけることができるかどうかだ。皆が皆、困っているから助けて欲しいと言ってくると思うか。24時間お悩み相談のホットラインではないのだ。覚えておいて欲しい。
人が困っていることを知れば、まず同じように悩み、憤ってやれ。そうすれば、誰かがどこかでそれを見ている。それが評価となり、仕事となり、人間関係の幅広さとなるのだ。相談されたら、そろばん弾いて、そうしましょう、こうしましょうでは、人の心なんて掴めない。
そして、そのときは恩を着せぬことばをかけてやれ。相手は「迷惑かけるから大丈夫です…」と言うかも知れない。そこでも「オレがやりたくてやってるから何も気にせんとってくれ」と言ってやるのが本当の親切だ。
それを額面通り受け取られたり、結果的に損ばかりを私はしてきたと思う。だから恨み節を言うのではない。私はそこで自分の人間性を豊かにしてきて、人助けしながらも自分の仕事は休まず続けてきた。そして開いてきた道がいまである。
被害者側という立場に立ち、文句だけを言っている人間の正義にまず疑問や違和感を持つべきである。おかしなヤツらではないかと自分の頭を働かすべきである。見てみろ、望月たちのあの顔。自分が親切にされたときのことなんて忘れてしまっているような顔をしていないか。
子供たちに見せれないと言った井ノ原くんに飲み込まれていたではないか。結局、打算的で能力が低いからである。ろくでもない取材しかできない記者たちは、したり顔ですぐに業界人ぶるが、だからこそ既存のメディアが衰退したのだと、猛省するべきではないか。