松本人志問題に見る「書かれたら負け」の歪な世界
週刊誌の暴走が止まらない。文春の松本人志に続き、新潮が書いたサッカー日本代表の伊東純也による性加害疑惑。しかし、伊藤側は事実無根だとして、告発した女性たちを民事、刑事で訴えるという徹底抗戦に出た。対して、とうの新潮はだんまりだ。まさに「書きっぱなし」。過去、週刊誌では、そんなことが当たり前に起こっていた。本当にそんな世界でいいのだろうか――。
沖田臥竜
2024.02.21
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松本人志さんがテレビに復帰するのも、そう遠くはないんじゃないか。だいたい記事にしたもん勝ちという風潮が間違っているのだ。時代が変わろうがそんなものは関係のないことである。裁かれし者は裁かれて当然だが、そこに虚言や偽り。もっと言えば裏切りがあれば、どこまで言ってもそれは人として最低な行為で、いずれは自身に返ってくる。
あれか。惑わされるのか。ネット民なんて所詮いざというときに助けてなんてくれないぞ。誰が生み出したのかは分からないが、ダサいことはどれだけ時代が変わってもダサい。それ以上でもそれ以下でもない。そして批判する側はもっと頭を使え。週刊誌がそこまで飛ばして記事化するのは、売れて儲かるからではない。それは間違ってもない。売れないからこそ、スクープを飛ばすのだ。
それでも、穴を埋められないのが実情だ。そんなもの部数を見れば分かり切ったことである。清廉潔白なイメージなんてもの芸人に求めるのが、そもそもおかしな話で、マスメディアしかりスポンサーの上層部はもっとしっかり頭を働かすべきだ。
いいか?