文春の乱
文春に先立ち、4年前に木原誠二官房副長官の妻に関する疑惑を書いた沖田の著書「迷宮」
文春砲。Twitterやyoutubeにどれだけ世論がもっていかれたとしても、文春砲にロックオンされてしまうと、まあまあ帰ってこれない。何だったら、文春砲に全面降伏したら、翌週には必殺の「独占180分」なんてものまでおまけで待っていたりする。
先日の広末涼子騒動では、不倫相手が「独占200分」で降参させられていた。もしも逆らったり、無視を決め込んだりした場合はどうなるか。簡単である。「これでもか!」と言わんばかりに2発目をぶち込んでみせるのである。
どちらを選択しても、無傷で帰ってきた著名人はまずいない。広末涼子騒動で不倫相手の独白が後ろの方となったのは訳があった。2発目の広末涼子騒動ネタの紙の売れ行きが芳しくなかったのだ。事務所に質問状を送ったら、広末涼子さん本人から文春に電話があったヤツだ。あれがあったので、不倫相手の独占は翌週となったのだが、ダラダラ引っ張らず、畳み込んだほうが売れたかもしれんな。
さて、そんな今や飛ぶ鳥落とす勢いの文春にも、お家騒動に近いものが少しあったのは、まああまり知られてないだろう。簡単に言えば、三浦瑠麗さんの旦那ネタをやるな、と上層部が言っているのに、編集部が無視したのだ。そうした結果、全てを統括する部署が誕生し、文春砲の生みの親である天皇は、「〇〇総長」という肩書きに座ることになった。総長である。編集長ごときが持つ決定権では太刀打ちできないことだろう。そして、ならばと、編集長の交代の際の「あるある」である、ぶん回しを行ったのである。
ただ、私はこの記事を読んでいない。内容は何人からも聞いているが、読んではいない。なぜならば、読まなくとも私の方が詳しいからだ。文春が伏字にしているところを友人に教えたのは、無論、私である。