スクープという名の「中居問題」、拭えぬ違和感

お盆前の「週刊文春」合併号で、またも中居正広氏の性加害騒動に関する記事が掲載された。内容は、今あえて報道する必要があるのか疑問を抱かせるものだった。すでに芸能界を引退し、示談も成立しているにもかかわらず、繰り返される報道は本当に公益性があるのか。ジャーナリズムの矜持や公平公正のあり方、そして報道と誹謗中傷の境界線について、今一度考える必要があるのではないか――。
沖田臥竜 2025.08.12
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 週刊誌は、お盆休み前は合併号を出す。合併号になると何かスクープとして取り扱わなくてはならないと考えられた末の、中居正広氏の記事化だとしたら、余りにも中居氏が可哀想ではないか。

 それはそうだろう。すでに中居氏は芸能界から引退しているのだ。これ以上、記事化することに公益性があったのか。

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